ONE PIECE Wiki
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プロフィール[]

1997年より、『週刊少年ジャンプ』で『ONE PIECE』を連載中。同作の2022年8月時点の累計発行部数は、国内累計4億1000万部、世界累計5億1000万部を突破しており、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定されている。67巻は日本国内出版史上最高記録となる初版405万部を発行している。

来歴[]

油絵が趣味だった父親の影響で幼い頃から絵を描き始め、4歳の時に漫画家という職業の存在を知り「大人になっても働かなくていいんだ!」と思い漫画家を目指し始める。初めて読んだ漫画は藤子不二雄Ⓐの『怪物くん』であり、それがきっかけで漫画家になる決心をしたという。小学五年生時には『キャプテン翼』の影響でサッカー部へと入部。このサッカー部での経験が元で後に自分の漫画内でチームの楽しさを描くきっかけとなっている。 中学2年生の頃より本格的に描き始めた。『ONE PIECE』の題材とした海賊を好きになった原点は『小さなバイキングビッケ』であり、中学時代には「ジャンプに海賊の漫画を描こう」と目標を定め、アイディアを貯め始める。高校一年生の時にサッカー部を辞め、漫画一本に集中することに決める。 1992年の東海大学付属第二高等学校在学中に月火水木金土(つきひみずきこんどう)のペンネームで投稿した短編「WANTED!」が『週刊少年ジャンプ』の新人賞の手塚賞に準入選する。1993年には「一鬼夜行」が10月期第104回ホップ☆ステップ賞にて入選を受賞。 1994年に九州東海大学工学部建築学科を1年時で中退し、甲斐谷忍・徳弘正也・和月伸宏のアシスタントを務める。アシスタント時代に描いた読切の海賊漫画「ROMANCE DAWN」が、後の『ONE PIECE』の原型となる。 1997年に『週刊少年ジャンプ』で海賊達の冒険を描く『ONE PIECE』の連載を開始。初連載ながらも1999年にはアニメ化され、国民的人気作品となった。 2002年、アニメ『ONE PIECE』の劇場版第3作『ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国』の同時上映作品『夢のサッカー王!』に愛称の「オダッチ」役で声優として出演。 2007年、『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号に、『ONE PIECE』と鳥山明の『ドラゴンボール』のコラボ作品「CROSS EPOCH」が掲載された。 2009年にはアニメ『ONE PIECE』の劇場版10作目を記念して『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』の映画ストーリー・コスチューム&クリーチャーデザイン・製作総指揮を務める。この映画は様々な東映記録を塗り替え、漫画原作のアニメ映画としては歴代最高記録(当時)となる興行収入48億円の大ヒットとなり、2010年上半期邦画興行成績ランキング第1位、2010年年間邦画興行成績ランキング第4位となった。同年、鈴木敏夫のラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』に出演した。 2010年、『週刊少年ジャンプ』2010年39号掲載の『ONE PIECE』第597話で物語に大きな区切りがついたことに伴い、連載を40号(9月6日発売)より43号(9月27日発売)まで4週にわたり長期休載、44号(10月4日発売)より連載を再開。甲斐谷忍はツイッターで尾田が実質休んだのは一週間のみで残りは仕事をしていたと語っている。尾田は休暇の間は家族でハワイに旅行に行っていた。 2011年、『週刊少年ジャンプ』2011年17号に島袋光年の『トリコ』のアニメ化に伴い、『ONE PIECE』と『トリコ』のコラボコミック「実食! 悪魔の実!!」が掲載された。尾田は島袋に指定されたところに絵を描いただけだが、作中には尾田の考えたモンスター「トラノイヲカルキツネノイヲカルブタ」が登場している。 2012年、初の展覧会『ONE PIECE展』の監修を務めた。テーマ曲にはかねてより親交があった中田ヤスタカ書き下ろしの「パノラミック・エクスペリエンス」が起用された。同年、『ONE PIECE』劇場版12作目となる『ONE PIECE FILM Z』の総合プロデューサーを務めた。興行収入は『STRONG WORLD』を上回る68.7億円を記録するメガヒット作となった。 2013年5月、扁桃周囲膿瘍で入院しジャンプの連載を2週休載した。退院後は定期的に1週休載する連載シフトを敷いていた。2014年5月、病状完治を目的として扁桃腺切除の手術を受けるため、2週休載することが発表された。 2015年6月15日、『ONE PIECE』が「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定され、「漫画界の先人達または協力者達、読者の皆様への感謝を忘れず、これからも記録に恥じぬ作品を描いていきたいと思います」とコメントした。 2016年の熊本地震では、復興支援として『ONE PIECE』の主人公ルフィ名義で8億円を寄付。また、南阿蘇鉄道のラッピング車両等にイラスト提供を行うなど復興プロジェクトに協力。復興活動への尽力が評価され、2018年4月4日に熊本県民栄誉賞を受賞した。

受賞歴[]

「FLY UP BOY」で第69回ホップ☆ステップ賞最終候補 1992年下期 - 「WANTED!」で第44回手塚賞準入選(「月火水木金土」名義) 1993年 - 「一鬼夜行」で第104回ホップ☆ステップ賞入選 2000年 - 『ONE PIECE』で第4回手塚治虫文化賞最終選考6位 2001年 - 『ONE PIECE』で第5回手塚治虫文化賞最終選考6位 2002年 - 『ONE PIECE』で第6回手塚治虫文化賞最終選考6位 2006年 - 『ONE PIECE』で日本のメディア芸術100選マンガ部門選出 2012年 - 『ONE PIECE』で第41回日本漫画家協会賞大賞受賞 2018年 - 熊本県民栄誉賞 2019年 - Yahoo!検索大賞作家部門賞

人物[]

一番好きな『ジャンプ』作品は『キン肉マン』とジャンプ30周年の際のコメントで答えている。『ONE PIECE』内の隠れキャラクターパンダマンは、元々は尾田が『キン肉マン』の超人募集に応募した際に生まれたキャラクターである。 最も尊敬する漫画家は鳥山明。「神様」とまで表現しており、仕事机から仰ぎ見る位置に鳥山のサインを飾ってある(このサインを手に入れるため、徳弘正也に頼んで鳥山のところに連れていってもらい、握手している写真も撮った)。 大御所扱いされるのを嫌っており、担当編集者にも「尾田先生」とは呼ばせないようにしている。 嫉妬するほどいい作品として新川直司の作品である『四月は君の嘘』を挙げている。その理由は「漫画での表現が最も苦手とするジャンルである『音楽』の表現を見事にうまく表現している」からである。 2016年7月10日に放送されたフジテレビ系『伝説の瞬間発掘ファイル〜アニメ編〜』の番組内で、『ONE PIECE』ファンであるサッカー選手・香川真司とプレゼント交換をし、自分のプレゼントが渡った瞬間を映像で見たいという香川の要望に対し、顔出しNGの条件付きで初めてテレビに出演した。 アトリエは自宅と併設されている。2019年1月9日に放送されたフジテレビ系『ホンマでっか!?TV』の番組内で、『ONE PIECE』のファンである司会の明石家さんまや、尾田と親交がある木村拓哉などが尾田の自宅に訪問する様子が放送された。 交友関係が広く、サッカー選手の香川真司、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ、桜井和寿などの著名人とプライベートで仲が良い。 尾田のアシスタントを務めた池沢春人によれば、寝るとき以外はずっと漫画を描いている。安藤英によれば、締め切り近くになると3時間も寝ず、「眠くなるから」と言って食事もとらない。

ONE PIECE[]

『ONE PIECE』は少年のものであるべきと考え、「作中で恋愛を描かない」、「殺人や死亡シーンをなるべく描かない」、「戦いの後には仲間たちとの楽しい宴が始まる」といった制約を設けて執筆している。また、毎週15歳の頃の自分が楽しめるか確認している。 『ONE PIECE』というファンタジーの世界で、どこかにリアリティを求めるとすれば、それは人間の感情だと思っている。そこはしっかり守っていかないと、全部嘘っぱちになると語る。 『ONE PIECE』のラストは連載前から決めてある。最終章が一番盛り上がる漫画にする。担当編集者の引継ぎの際には毎回、尾田から担当に直接、ラストまでの大まかなストーリーラインを提示する。2010年7月の時点で物語の半分くらい。 今後『ONE PIECE』以外の長編はもう描かないと決めている。理由は、体力的に次の長期連載をやるのは無理だから。 『ONE PIECE』は当初5年で完結させる予定だった。新しい島に行けば新しい仲間がいてすぐに仲間になってくれるから、1年半で仲間は全員集まるだろうとゲーム感覚で考えていたからである。ところが、キャラクターたちはゲームではなく、人間だった。麦わら帽子をかぶった手足が伸びる人間が現れて「海賊になろう」と言われても、仲間になってはくれない。相当なエピソードがなければ、仲間になろうとは思えない。そこが大きな誤算だったという。 『ONE PIECE』はラストが決まっている以上、早く最後の画に行き着きたいという気持ちがどこかにある。しかし、キャラクターの気持ちは一人一人丁寧に考えて描きたいし、それを捨て駒のように扱いたくもないから、いざ描くとなるとどうしても長くなってしまうと語る。 『ONE PIECE』が予想以上の長寿漫画となったことで、新たに、「読者が卒業することなくずっと読み続けて、それぞれ家庭を持ち子供が出来たら親子で一緒に読んで欲しい」という野望ができた。 『ONE PIECE』の新しいシリーズを始めるときは、毎回新しく漫画を描くつもりでやっている。一休みして別の漫画を始めても、この漫画で全部やってしまっても、作家としてのやりたいものの消化という意味では同じだと考えている。 『ONE PIECE』の主人公とは長い付き合いになると思ったので、尾田の中で一番作りこまずに、自然に描けたキャラクターがルフィとなった。しかし、作りこまなかった分、本当の姿も模索していた。尾田が初めてルフィの本当の姿に気付いたのは、ウソップ編になってから。ウソップがクラハドールを殴った後、第25話でルフィが子供たちと一緒になって「ばーか!!」と言ったとき、「あ、ルフィって子供なんだ」と気付いた。それまでは17歳の冒険好きの少年という設定が頭の中にあり、理屈でゴチャゴチャとキャラクターを考えていたのだが、ルフィは自分の理想の子供を描けばいいんだと気付いてからは、ルフィは勝手に動き、喋り、笑い、怒るようになっていったという。 尾田は、ルフィの兄であるエースが死を迎える場面を描いたことについて「本当に悩みました」「読者の反響は僕の想像以上でした」と振り返っている。尾田はこのシーンを描いたことについて「ルフィが前に進むためには、大きな試練を経験させる必要があった」と語り、「僕もルフィと一緒に乗り越えなければいけない所でした」「楽しいばかりでは、長い連載はやっていけないんです」と明かしている。 ルフィたちに「2年間の修業期間」を設けたことについては、「四皇などの敵に勝つには、2年間が必要だった」「17歳のルフィでは勝てるはずがなかった」と明かしている。仲間たちと再会までの期間を「2年」としたのは、「ルフィをそこまで大人にしたくなかった。少年漫画であることにこだわりたかったんです」と述べている。

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